二戸市議会 2019-06-06 06月06日-一般質問-03号
私は、軍国主義真っただ中の国民学校6年生の夏に敗戦を迎えました。戦争の惨禍と戦後復興を目の当たりにしております。同時に、戦争政策の犠牲をもろにかぶり、貧困を強いられ、進学もままならなかったのでありますが、憲法の示す民主、平和、基本的人権を生きる指標として今日まで歩んでまいりました。まさに憲法は、私の生活の原点であります。そして、憲法第8章は、地方自治を定めております。
私は、軍国主義真っただ中の国民学校6年生の夏に敗戦を迎えました。戦争の惨禍と戦後復興を目の当たりにしております。同時に、戦争政策の犠牲をもろにかぶり、貧困を強いられ、進学もままならなかったのでありますが、憲法の示す民主、平和、基本的人権を生きる指標として今日まで歩んでまいりました。まさに憲法は、私の生活の原点であります。そして、憲法第8章は、地方自治を定めております。
私が、国民学校の5年生のとき終戦を迎えました。 国民学校といってもわからない方も多いかと思います、今の小学校です。 初めて進駐軍が来て外国人を見たわけですが、それまでは戦争中、とにかく鬼畜米と語って、全然外国のことなんか勉強もできないし聞くこともできませんでしたが、そのとき、ガムをかみかみジープで乗りつけたアメリカ兵を見て、大変な驚きを感じわけでございます。
ただいまの同僚議員の質問にありましたように、私は1クラスの中で-これは制度ですから、いかにどのように考えてもすべてがいいという制度があるはずがないんですが、ただしかし、これは私個人の経験申し上げて本当に恐縮なんですが、私の、戦時中、中妻小学校で、いわゆる物のない時期、昭和19年あたりですね、弁当を持ってきたときに、おかずが余りにも差があるということで、学校でおかずをつくることを考えまして、我々国民学校
その後ずっと尋常小学校が6年制になったとか、高等小学校等ができたとか、あるいは学校名が国民学校に変わったとか、そういう変化はありますけれども、その次の大改革というのが昭和22年です。これは、第2次世界大戦によって日本は敗戦したということでのいわゆる体制の変化に伴う学制改革でございます。こういういわば時代の変革の中で学制改革をなされてきた。
昭和21年11月22日金曜日、同月23日土曜日、同月24日日曜日の3日間にわたり、蕨国民学校校庭において20歳を迎えた成人者を招き、全国に先駆けて第1回成年式を挙行し、成人者にその趣旨を訴えるとともに、激励し、そしてその前途を祝福したのであります。